2010年12月10日金曜日

Poverty World

12月8日、「シリーズ2010・反Povertyの学習会 第4回 野宿者と考える」が、日本福祉大学名古屋キャンパスで行われました。
このイベントは、今年5月に結成されました「反Povertyネットワーク愛知」の企画する連続学集会です。
今回は、名古屋で長く活動する、野宿者支援活動、炊き出し活動、日雇い労働組合活動などの紹介と、当事者の声の紹介でした。
やや長いイベントであったため、筆者の印象に残ったものを紹介します。
この記事は、正確な議事録ではありません。

「反Povertyネットあいち・野宿者と考える」の会場の様子。80人ほどが参加していた。

日雇労働者の当事者の話を、ということで予定していたそうですが、当日になってでられなくなったとのことで、
笹島日雇労働組合の石田さんが、長年、笹島で活動をしつつ、自らも日雇い労働者として働いてきた経験を話してくれました。
石田さんは手書きの新聞「週間笹島」をよくかいている人で、特徴あるゲバ字がとても読みやすく、ときおりユーモアをまじえつつ、笹島の日常や社会のことを手書きで伝えています。
(もうひとり書き手、大西豊さんの字はとても汚く、読みにくいのと対照的です。)
●笹島日雇労働組合・石田慶太さんの話
7~8年前に脳梗塞になって、左脳が壊れています。
結構な量の血を吐いたこともあります。
34才から日雇いの仕事をしています。(現在の年齢はナイショだそうです。50代?)
10年ほど東京で働いて、13年ほどまえから名古屋に来ています。
それ以前のことはナイショです。
笹島では、ずっと日雇労働組合をしつつ、日雇いの仕事をしていました。
道路工事、水道屋、ペンキ塗り、などの仕事をしてきました。
今は仕事がありません。
自分の場合は、脳梗塞からくる障害もありますが、そうでない人でもし語とがありません。
日雇いは日々雇用、日々解雇状態になっています。
建設労働者のおおくがそのような状態です。
1976年の雇用関係の法律の改悪、石油ショックなどが重なり、多くの労働者が寄せ場にきたり、路上に追い出されたりしてきました。
日本はかつて土建国家で、公共事業としての土木工事が盛んでした。
もっとも盛んだった1986年頃は、全体で86兆円ほどの規模がありましたが、現在は6兆円ほどの規模に減っています。
工事の性格は、公共事業、私企業のもの、それぞれ半分ほどでした。
いまでは本当に建設の仕事はなくなりました。
どうするかが問題です。
生活保護も含めて、対策をとる必要があります。
派遣法の問題も大きいです。
とくに建設関係の日雇いは仕事の波がおおきく、不安定な雇用になりがちです。
仕事があるときにありますが、ないときにはまったく仕事がありません。
天候にも左右されます。
とくに6月の梅雨時は仕事がなくなります。
仕事がなくなると、そのなかの一部の人達が野宿化していきます。
労働者は食べれるだけの仕事がほしいのです。
仕事がなくて働けないときには、生活保護が必要です。
これからも地域の仲間とともに反貧困の活動をがんばっていきたいです。